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講師のプロフィール

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講師プロフィール

ひがしの あやこ
東野 綾子

指導歴33年、延べ300人以上の指導。音楽療法実務25年。

同志社女子大学卒業後、大手楽器店カワイ音楽教室で、ピアノ講師としてスタートする。多い時では、1週間に100名以上を任され、生徒一人ひとりに寄り添ったレッスンにより、高い満足度をいただき、入会希望者が多数であったこと、さらに、高い継続率を維持。その実績が評価され、全国表彰を受ける。

「継続力を持って欲しい」という考えに共感し、ピティナステップへの参加を推奨している。参加生徒は全て高評価。グレードテスト合格率100%。

ピティナコンペティション、ブルクミュラーコンクール地方大会入賞。

「信じて待つ」「スモールステップを大切にする」を指導理念にし、多くの生徒が合唱コンクール、学校音楽会、卒業式での伴奏者に選出。卒業生がピアノを活かし保育士や教員に就職。滋賀医科大学、大阪大学など高学歴と言われる大学に進学。京都市立芸大に進学した卒業生は、プロのヴァイオリニストとなり、全国で活躍している。

 

また、祖母の障害や阪神大震災の時、不安な中でも音楽が心を支え、前向きな力をくれることを目の当たりにしたことをきっかけに30年以上学んだ音楽療法の知識を活かし、『知育ピアノレッスン』を行なっている。

発達特性(ADHD・ASD・場面緘黙・自閉症・ダウン症・グレーゾーン)のある方も、たくさん通われていて、ピアノや歌を楽しんでいる。

 

「先生が褒め上手でやる気スイッチが入る」

「人を育てる指導をしてくれる」

「子どもに合わせてわかりやすくレッスンしてくれる」

などと、通っている生徒さんから指導について好評を得ている。


全日本ピアノ指導者協会指導者会員。全国音楽療法学会正会員。障害者施設での音楽療法、障害者音楽サークル講師、合唱団伴奏、シルバーコーラス指導、鍵盤ハーモニカ指導。

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History

父母ヶ浜

〈幼少期から小学生〉

香川県三豊市、SNSなどで夕日の絶景スポットとして『日本のウユニ塩湖』として有名になった、父母ヶ浜という所のすぐそばで生まれ育つ。祖父が戦前、大阪でヴァイオリンを弾きバンド活動をしていたというエピソードがあるような人で、音楽が大好きな一家の長女として生まれた。

家が和菓子屋で毎日忙しく、私はレコードに子守りされながら育ったが、家族はいつも歌っており、家にはギターやドラムがあった。洋楽ポップスの音楽が当たり前にある家庭環境だった。

当時は高度成長期、猫も杓子もピアノを習うといった風潮で、通っていた公立幼稚園のヤマハオルガン教室に、私も含めほとんどの子どもが入っていた。ただ他の子たちはほとんど保護者が側についており、大勢の中、先生が回ってくることもなかなかなく、暇だった私はどんどんと勝手にテキストを進めた。その事と、テレビなどの音楽をオルガンで再現できたことで、とても褒められ、小学生からは個人ピアノレッスンに変わることになる。今でもピアノを買ってもらった日のワクワクした気持ちは覚えている。

幼稚園から中3までお世話になったピアノの先生は、とても綺麗で優しく、練習していなくても怒られることもなかったしが、練習していないと5分か10分ほどで終わり、練習してくると30分くらいレッスンしてくれた。個人レッスンではあるが、先生が教室に来ている時間に生徒が来て、順番に先生が見ていくといった感じの教室で、先生に長く見て欲しくて練習していた。

小学生時代、日々の熱心な練習と上達の早さをピアノの先生に評価していただき、先生の勧めでピアノコンクールに出場しました。放課後や日曜日も返上して練習し地方予選を突破。しかし親の仕事の都合で本選には行かせてもらえなかった。ただコンクールの帰りに、両親とレストランでハンバーグを食べ、それが嬉しかったことは記憶に残っている。ピアノの他には学校のマーチングバンドと合唱部に所属し、音楽に溢れた生活を送った。

ピアノと青春時代

〈中学時代、音楽高校受験〉

中1の時、両親の離婚騒動があり、それに伴いピアノも仕方なくやめることになった。長く別居が続いたが、結局離婚することなく、元の鞘におさまる。

またピアノを習わせて欲しいと両親に頼み、中3の春に再開。そんな状態だったが、中学の音楽の先生と県立の音楽高校のオープンハイスクールに行く。そこで弾いていた男の子(後に京都市立芸術大学に進学)のショパンバラード1番がとてもカッコよく「きしんちゃんみたい」と憧れたが、それよりも女の子(後に東京藝術大学に進学)の、オペラの中でも、誰もが知る名曲であるプッチーニの「私のお父さん」の圧倒的な響き、歌詞の意味は理解できないイタリア語なのに、直接心に刺さり、鳥肌が立つほどの衝撃を受けた。

歌が大好きだったので、声楽科で音楽高校に行きたかったが、女の子にも独り立ちできるだけの職につけさせたかった母の「歌よりもピアノの方が需要があるだろう」という意向により、ピアノ専攻としてならと受験を許され、そこからピアノ、ソルフェージュなど猛練習、運良くなんとか合格できた。後押ししてくれた、ピアノの先生、音楽の先生と両親に感謝している。

ピアノと私

〈高校、大学、そして音楽療法との出会い〉

田舎ののんびりした教室だったこと、中学の2年半ピアノから遠ざかっていたこともあり、曲が弾けても基礎的な事ができていないと指摘され、基礎からやり直すことになった。ピアノ専攻の生徒はほとんどがコンクール入賞者で、疎外感を感じつつも、先生の指導のおかげで、自分の力がどんどん付いてくるのを感じ、充実していた。歌も諦めきれず、高校で合唱部に入り全国大会優勝。声楽も個人レッスンに通い、ピアノと歌を毎日何時間も練習していた。ところが、高2の時、交通事故で頭を強く打ち、2ヶ月あまりの入院。左半身に神経麻痺が残り、左耳の聴力が大幅に落ちた。幸い命にも腕にも別状はなかったが、もともと出遅れていたうえに、2ヶ月以上練習できなかったこと、麻痺が残った事は大きな打撃だった。

大学進学にあたり、演奏家の夢は諦め、教育学部進学への準備を始めた。その課題の中で、「私の祖母は聴覚障害者だが、障害があっても音楽を楽しみ日々の支えとしている」ことをまとめたレポートを目にした高校の先生が、あなたの考え方は教育よりも音楽療法に向いている、と勧めてくれ、同志社女子大学のオープンキャンパスに行き決断。好きな歌も活かせるということで、その方面に進み研鑽を積んだ。

 

しかし、音楽療法はまだ日本では新しい分野で、職業としては難しく、結局教員を目指すようになる。ところが胃腸の病気になり入院し教育実習に行けず、また当時教員採用はほとんどなかったことから、教員免許取得そのものを諦めることとなった。

ピアノを教える

〈大学卒業後〉

幼少期から中学生までお世話になったピアノの先生がずっと気にかけてくださっていて、話を聞いてくれたり教室の発表会に出演機会をくれたりしたりと、先生の変わらぬ優しさに支えられた。その経験から、私も生徒一人ひとりに寄り添い、前向きな力を届けられる存在でありたいと思い、ピアノ講師を目指すことにした。カワイ音楽教室のシステム講師となり、ピアノ指導グレード4級、ドリマトーン指導グレード5級、基礎教育グレード4級を取得する。多い時では1週間で100名の生徒を任される。その1年後、生徒の継続率の高さで全国表彰を受ける。

 

結婚後もカワイ音楽教室講師を務めていたが、長女出産、阪神大震災での被災もあり、三田市への引越しを機にカワイを退職、自宅教室を開講する。阪神大震災の時、不安な中でも音楽が心を支え、前向きな力]をくれることを目の当たりにし、再び音楽療法を学び、三田の高齢者施設で音楽療法、また障害者の音楽サークルで講師を始めた。

バレエ

〈子どもの話〉

長女がバレエを始め、自分も、もともとバレエ好きだったこともあり、娘の伴奏をしたり、娘のコンクール遠征に付き合う。

ワガノワバレエ学校のワークショップで、先生に「才能がある」と言われたことをきっかけに、娘はますますバレエに傾倒。中2の時、スカラシップでドイツ留学。アメリカワシントンバレエ団で研修生となり、ウルグアイ国立バレエ団へ就職。ヨーロッパへの夢を諦めきれず、単独でヨーロッパ各地にオーディションに行き、ブルガリアに移籍。コロナ禍をきっかけに、ポーランド州立ビドゴスツェ歌劇場バレエに移籍した。ポーランドで5年働き、現在、東京のスターダンサーズバレエ団に所属している。

娘のおかげで、私もヨーロッパ各地で、オペラやバレエを観ることができた。

 

長男と次男は、野球部に所属。2人とも小学生から野球を始め、私は野球の母としても楽しませてもらった。バレエとは違い、食事と体調管理くらいしかサポート出来なかったが、息子たちのおかげで自分が体験できなかった「ザ・青春」を送らせてもらった。どちらも高校球児となり、保護者会の仕事もそれなりに忙しく充実していて、母たちの絆も深い。千羽鶴は数えきれないほど折った。公式戦の試合応援時には、スタンドにいる選手の太鼓と共に、鍵盤ハーモニカを演奏して応援。次男が、新高3で最後の夏。ケンハモ応援を引き継ぎたいと申し出てくれた後輩保護者に、指導予定。

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